時の流れは速い。刑執行まで、残り二日となった。月夜はのんびりとこの三日間を過ご
していた。気がかりといえば狐の瘴気に犯された嵐だが、人の身より強い妖狼の体を持っ
ている故に自分が心配しても意味がないと分かっていた。
 中庭で高欄にもたれて黄昏ている月夜に、動けるようになった嵐は近づいた。静かにそ
の隣に寄りかかった。男二人分の体重を受けて高欄はみしりと言った。
「なんだよ」
 月夜は嵐に目を向けずに言った。嵐が何も言わずに近づいてくる時は何か話があるとき
だ。中庭の松の木をみて溜め息をついた。
「お前は何を考えてる?」
「別に、俺は」
 嵐は渋る月夜の肩を掴んでその頬を殴った。月夜と嵐の身長差は十センチある。体格的
にも月夜は嵐よりも小柄で体も小さく不意打ちでもあったため軽く吹っ飛ばされた。簀子
の床に肩から思い切り倒れこんだ。
「あーすっきりした」
 嵐は拳を握り締めながら呟いた。月夜は強く打った方に手を当てて不機嫌そうに表情を
ゆがめた。そして上目遣いに睨んだ。
「何しやがんだよ」
 肩関節のあたりをさすって顔を歪めて立ち上がった。嵐はふいと高欄にもたれて明後日
の方向を向いた。
「何でもいいだろ? 殴りたかったんだから」
「何で殴りたかったんだよ?」
「別に良いじゃん」
「別によくない」
 意味もない言い争いをして誰からともなく笑い始めた。やっぱいいなと二人で言ってい
た。そして月夜は内心、これを守りたかったんだと言った。嵐に伝わったのかはしらない
が肩を竦められた。
「今日、何の日か知ってるか?」
「七夕だろ。ここは天の川見れるかもな」
「そうだな。まあ、節句に生まれたお前だから各節句の祝い方は頭に入れているだろう。
それと、逸話もな」
「ああ。七夕には長恨歌だっけか、天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては
願わくは連理の枝となりましょう。見たいなこと言ってたんだろ」
 中国の皇帝とその妾妃の愛を誓った言葉だったよなと続けて何でそんな事わざわざ話題
に出すのだろうかとふと思った。術者である自分たちは仏教や密教、神道は勿論、修験道
や陰陽道などの知識は併せ持っている。つまり節句などの習慣も頭の中にはいれているの
だ。そんな事話題に出さなくても頭にはある。それを分かっているはずの嵐の意図が分か
らなかった。
「夕香の誕生日だ。今日は」
 やや置いて嵐は言った。だからと返すと夜に外に連れ出してやんなと返ってきた。お前
がやれば良いだろと言ったが嵐は変な笑みを浮かべて肩を竦めた。
「あいつ、誕生日祝ってもらったことあんまないんだよな。んだから」
「お前がやれば良いだろって、何で俺なんだ?」
 それはと口篭ったがとにかくお前が祝ってやれと言って嵐はどっかに消えてしまった。
様子がおかしい事に気付いた月夜はまだ熱があるのかとふと思って打たれた頬を撫でた。
思い切り殴ったらしく口の中が切れている。自分で癒すと、まあ、いいかと思った。
「誕生日ね」
 そう呟く月夜は感傷的な気分に陥ってふと外に出た。屋敷から遠ざかり少し歩いた薄野
原がある辺りで立ち止まって鋭く後ろを見た。ここ最近黒い影が纏わりついている。脅す
にはいい機会かと思い気配を一気に鋭く引き締めた。
「いるなら出て来い」
 鋭く威厳すら感じさせる声音に黒子の様な装束をまとった小柄な人影二つが月夜の後ろ
で片膝をついて畏まっていた。
「何用?」
 黒子の片方が口を開いたようだった。目の前には薄が揺れている。
「伝言に御座います」
「誰からだ?」
 目を細めると黒子は顔を伏せて言った。月夜はさりげなく印を組んだ。
「長老殿からで御座います」
「あの腐れ爺か」
 月夜の脳裏に父と家を出たあの日が再現しかかる。月夜とその父優也は家を出た離反者
として家に追われている。最近こそ大人しくなったのだが出て三年は一族の襲撃がしょっ
ちゅうあったものだ。そしてその襲撃の時に一人、老人を攻撃した。家の長でもある父を
引き止めるべくその老人が召喚した犬神を真っ二つにした父は目を細めて同じことを言っ
たのだ。
「家に戻らぬのであれば、死が待つ」
「笑わせる。伝言だ。できるものならやってみろ。お前達が死なない限り俺は家には帰ら
ないと。父上も同じことを言ったはずだ。古狸がいなくならない限り、帰らぬと。同じ意
志だ」
 その言葉にもう一人の黒子が動き出した。それを月夜は虫を払うかのような動作で憂鬱
に腕を振った。黒子は月夜の直前で何かに弾き飛ばされ薄野原の彼方に消えた。
「分かったな。お前たちでは俺には勝てない」
 そう言う月夜は黒子に対する嘲りの表情と優越の表情を浮かべていた。その表情は本心
なのだろうか偽りなのだろうか。黒子はぐっと拳を握り締めて面を伏せてどこかに消えた。
「何か起こさなければいいが」
 その表情を消すように深く溜め息を吐いて黒子が飛ばされていった方向を眺めやり屋敷
に呑気に帰って行った。



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